過去の展覧会

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2015年4月18日 (土) - 5月16日 (土)

池垣タダヒコ Tadahiko Ikegaki : Mixta Celebración 非日常 - 祝祭と混沌
  • 話す2人+奏でる3人、渾然一体の初日イベント!
    Talk & Music "非日常 - 祝祭と混沌": 2015.4.18 sat 18:00- charge: ¥1,500- ※ 終了致しました
    Talk: 池垣タダヒコ×奥村泰彦氏(和歌山県立近代美術館)
    Music: Yung Tsubotaj (ユン・ツボタジ:EP-4) +.es (ドットエス:橋本孝之 & sara)+ZBOオーケストラ
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池垣タダヒコ、ギャラリーノマルでの初個展

池垣タダヒコは、真面目で素敵な紳士です。(かのように見える)
池垣タダヒコは、決して派手ではないが
着実に素晴らしい作品を制作し発表してきた。(かのように見える)
池垣タダヒコは、彫刻家である。
そして素晴らしいドローイングも描く。(かのように見える)

僕は、池垣タダヒコが、とんでもない人間であることを知っている。
人間性も作品も想像を超え、もはや宇宙。日本とメキシコ(1974~1977年滞在)と、スペイン(2009〜2010年滞在)の混血で生まれた突然変異なのか。
池垣的非日常世界、そこは祝祭と混沌にあふれている。
今回、平面と立体が対になった作品を中心に、
ギャラリーノマルで初の個展を開催する。
2次元3次元の枠を超えた新しいディメンションの出現を
体感してほしい。

ー ギャラリーノマルディレクター 林聡



作家コメント

時間がありません。もっとゆっくり出来たハズなのに。
もっと余計なものを作ったり出来たハズなのに。
何か一つに限らねば成りません。判断せねばなりません。
どうでも良いものと決別しなければなりません。
ケチだから捨てられません。余計なもので制作スペースが無くなりました。

楽園の様な所で木の実でもツイバネながらゆっくり流れる時間を味わった方が良いのか、
はたまた、せかせかあれやこれやと関わった方が良いのか解りません。
どちらの方が早く時間が経つのだろう。

過去の多くの偉大な作家の例を参考にしなければなりません。
作家って、作り続けてバタンと倒れてあの世に行くのが冥利に尽きるのだろうか。
そろりとどうでも良いが迫ってきました。

なんとかせねばと言う気持ちともうどうでも良いという気持ちの
最後のせめぎ合いになってきました。

そしていつものようになんとかなるのでしょう。
ブラジルのワールドカップのサッカー場の建設は試合迄に間に合ったみたいね。
知り合いからノマルは広いし大変ね。とメールが来ました。
海ほど広いんかい。

2015年2月20日の様子
池垣タダヒコ



「線の祝祭」 奥村泰彦 (和歌山県立近代美術館)

池垣タダヒコは、芸術家としての出発点を版画に持ちながら、平面と立体という表現の領域を易々と行き来する。いくつもの技法や素材を自由に使いこなし、制作の旺盛さもまた一つの表現であるかのように作品を繰りだしている。
多様なあらわれ方を示す彼の作品群が、それでもある種の統一を形づくっているように見えることは、むしろ奇妙とさえ思えることだ。その統一感を根底で支えるのは、池垣の場合、彼の描き出す線であるように思われる。さまざまな形で成立する彼の作品のことごとくが、独自の輪郭線に縁取られることによって、池垣以外の誰のものでもない作品として成立してしまうのである。
線を引くことは、人間にとって世界と向きあう根源的な行為であって、世界を象り、分析し、意味づけるとともに、自らの存在を主張する手段でもあろう。
池垣の場合、その線を大学ノートにかきつけることから、作品の発想が始まるという。
予め罫線によって規定された大学ノートという世界の上に、ドローイングが突拍子もないやり方で別の世界を出現させる。罫線に対しては落書きのように見える線の集積は、分析や記述であるより、現世に対峙する別の世界を出現させるものだ。ドローイングの線が持つそのような性質は、大学ノートという場を離れても自立する。結果として生まれる作品は、どのような形式を取っていても、理性と混沌が対決すること、あるいは混沌を巡って複数の理性が存在しうる可能性を端的に示してくれるものとなる。池垣の描く線がそこに現前しておれば、池垣の世界は突如として現われるのである。
混沌を出現させることによって、固定してしまった世界を揺さぶり、別の可能性を顕現させる彼の作品は、確かに祝祭と呼ばれるにふさわしい。そしてその祭りを司る芸術家自身は、実は理性的にことを進めているのである。