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2015年5月23日 (土) - 6月20日 (土)

大西伸明 Nobuaki Onishi : Vacuum
  • Opening Talk: 2015.5.23 sat 18:00 - 無料 ※ 終了致しました
    Talk: 大西伸明 x 池上司氏(西宮市大谷記念美術館)

  • Opening Party: 2015.5.23 sat 19:00 - 無料 ※ 終了致しました

1年間の海外研修を経て、
  大西伸明、満を持して帰国後初個展を開催!


オリジナル/複製という物事の捉え方への再考から、本質を探り出すべく、"薄さ"や"反復"といった手法を用いて、一見するとリアルでも感覚的に違和感が残るような立体や平面作品を制作する大西伸明。ときに意表を突くユーモラスな表現のわずかな隙間から、別の視点でのものの見方を提示し、そこから何が見えてくるのかを投げかけてきます。

今回、ギャラリーノマルでの3年振りとなる個展では、2タイプの新たな試みに挑戦します。 1つは"Vacuum"(真空)と名付けた立体作品。もう1つは、前回2012年の個展時に考案、発表した”スループリンティング(※)”を発展させた平面作品。いずれも大西の思考が先鋭的に表現された魅力溢れる展示となります。

※スループリンティング(Through Printing)
大西が新たに考案した、スクリーン印刷を応用した技法。 スキージによってインクをこし出す通常のスクリーン印刷とは異なり、インクを吹きつけることでイメージを定着させる。版と支持体の距離によって焦点をコントロールしながら、「集中と拡散」という相反する状態を一度につくり出すことが出来る。



作家コメント

人間の身体は内部を外にはさらしていないが、
胃や腸の中も竹輪の穴のようなモノで外側みたいなものだ。
人間の身体を輪切りにしてみたところで出てくるのも内外両方の表面だ。
型取りして面白いのは、複製物を薄っぺらく仕上げることで
実際には無い仮想の裏側を作ることができることだ-もちろん仮想の表側ともいえるー。
その裏側の存在感や境界をあれこれ操作して、
表面がまるで内側の影になるようなものになれば、
両義的なバランスがほんのり崩れて危ういものになると思っている。

大西伸明



「大西伸明さんの作品を見る前に」
  池上司 (西宮市大谷記念美術館学芸員)


アートのことだけを考えて作品をつくっている作家はいません。世界をどう把握し、表現するのか。その意味では、デザインやサイエンス、法律や経済さえも同じ営みなのではないかと思えます。そうした人の営為の積み重ねの、ごく一部が、結果として今日アートと呼ばれるものになっている。そう感じることがあります。
たとえば、いま目の前にある作品がアートとして扱われていることは、じつはまったく何かの偶然、もしくはたんなる確率的な問題にすぎないのかもしれません。逆に特定の社会的、歴史的な文脈においてアートと見なされることを、作家が意図して制作したものかもしれません。しかし、それはどちらでもかまいません。大事なのは、先に述べた「世界をどう把握し、表現するのか」が表れているのかということ。すなわち、それをつくり出した人の思想が、そこに見出せるかどうかということなのです。
思想を表現するということは、大変むずかしいことです。見聞きしたものを他人に伝えるだけでも、それがどれだけむずかしいことであるかは、誰もが日常の経験をとおして知っていることでしょう。表現手段が何であれ、技術と発想が必要なのです。そしてその表現が、つくり手の意思や見る人の理解を超える要素を獲得した時にはじめて、その作品がアートであると見なされるようになるのではないでしょうか。

さて、私が大西伸明さんの作品を最初に見たのは2004年のことです。豚肉や蚊取り線香をかたどり、精緻に彩色した作品がありました。大西さんの作風や造形技術の高さは、いまにして思うとこの頃から変わりません。語弊があるかもしれませんが、進歩がないというのではなく、すでにして卓抜な技倆を持っていたということが言いたいわけです。それと同時に、何とも言えない得体の知れなさ、不気味さ、不穏さのようなものを、彼の作品の中に感じていたことも事実です。その印象も、これまで変わるものではありません。
2012年のギャラリーノマルでの個展で見た「スループリンティング」と呼ばれる技法でつくられた版画には、とくにその不穏さを感じました。それまでの技法やコンセプトを下敷きにつくられているにもかかわらず、まったく新しい、予想もしないイメージがそこに立ち上がっていたからです。その驚きは、私自身の、彼の創作への見方を書き換えるものとなりました。彼の営みは正直、一見、地味ですが、錬金術のような爆発力を秘めていると感じました。今回の新作個展はいったいどうなるのでしょうか。首が転がっている案内状の写真は、とても怪しげに見えます。