過去の展覧会

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2015年11月7日(土) - 12月5日(土)

今村源 Hajime Imamura + 東影智裕 Tomohiro Higashikage
共生 / 寄生 ー Forest
キュレーション:加須屋明子 Akiko Kasuya

今村源 × 東影智裕による初のコラボレーション展
近年、独自の生態系を持つ菌類に興味を持ち多数の作品を発表している今村源と、動物の頭部等をモチーフに細密な毛並みで覆い施された作品を制作する東影智裕。ともに「世界を分け隔てる曖昧な境界」を視覚化・作品化する彼らの初のコラボレーション展を開催します。キュレーターには各人ともに親交の深い加須屋明子氏をお招きし、展覧会をナビゲートして頂きます。

二者が創り出す、共生 / 寄生の世界 – Forest(森)
互いのアイデアを交換・共有しながら取り組む共同制作作品をはじめ、共生 / 寄生をキーワードに作品を展開します。二者の関係性の中で生まれる「Forest(森)」がギャラリー空間に増殖、個々ではなく全てを包容した空間全体としてのアプローチを試みます。ミーティングを重ね実現した今展は当ギャラリーにとっても初の大掛かりなコラボレーション展となります。

東影、ギャラリーノマルでのデビュー展
今回がギャラリーノマルでの初の展覧会となる東影智裕。今展のキューレーターである加須屋明子氏が企画した「龍野アートプロジェクト 2013 刻の記憶」にて、ディレクター・林が東影を見出したことから交流がスタート。以来2年にわたり親交を深め満を持して今回のデビュー展を迎えます。

会期中は三者によるオープニングトークや、クロージングコンサートなどイベントも充実。
ぜひとも、ご高覧下さいますよう、何卒宜しくお願いいたします。


<共生/寄生-Forest>

Forest(森)は樹木が集まって育つ場所として豊かな土壌と多数の生物たちの生きる環境を提供してきた。古来、人間との関わりも深く、豊かな実りをもたらすもの、あるいは神秘的な力の潜む鎮守の森として敬われ、また同時に異形の者の住処として恐れられるような、危険と隣り合わせの場所でもある。
そこでは複数種の生物が相互に関係しながら共に生活(「共生」)している。ただし互いに利益となるようなケースもあれば、どちらか一方のみの利益となる場合、またはどちらかに害を与えている場合など、そのあり方は様々に入り組みながら、この世界を構成する要素となり、互いに影響を及ぼしあっている。異なる性質を持つものが集まれば、当然それぞれの利害が対立することも予想されるし、そこから争いや葛藤も生じるだろう。つまり異なるものが共に生きるとは、実際にはそう簡単なことではないと容易に想像がつく、関係性のあり方によってはそれが「寄生」と呼ばれる場合もある。一方的に宿主を利用し、寄生側へ利益をもたらす不均衡な関係かと思えば、実際には双方にとって恩恵が見いだせるケースもないわけではなく、例えばサナダムシをはじめとする寄生虫の一部が、ヒトのアレルギー反応を抑制する成分を分泌していることなどは、その例となる。ただし「寄生」と呼ばれるケースではこうした効用を持つよりも、個体にとって危険な影響を持つものも見られ、特に寄生バチや寄生ハエのように寄主を食べ尽くしてしまう。
人間も様々な生物と「共生/寄生」しつつされつつ、日々の営みを続けている。その関係性の複雑なネットワークはミクロにもマクロにも張り巡らされている。近年はインターネット環境の拡大に伴ってコミュニケーションの量も質も大きな変容を被り、仮想現実が現実を凌駕する勢いである。ただし科学技術がいかに高度に発達し、世界の認識方法がそれによって変化しようとも、人間もまた生物として、いずれ死ぬべき存在であり、自然の大きな力の前では自らの非力さに立ちすくむことしかできないのではないだろうか。
「共生/寄生」には、こうした多層的かつ困難な「共に生きる」こと、その関係の不思議さや、そのことへの畏敬の念も含まれよう。1957年生まれの今村源の、あたかも浮遊するような、重力を感じさせない立体表現や、静止した植物的性質と、動的な動物的性質とを併せ持ち、空間全体へと広がってゆく様からは、地上/地下、表/裏、静/動などの対概念の共存が感じられ、矛盾を孕みながらもバランスを保ちつつ、増殖してゆきそうな気配もある。堅固に見えていたモノたちが震え、境界が揺らぐ。日常の暮らしで見える世界が反転し、見えない世界への通路がそこに現れており、Forest(森)へとわけいる時に感じるような、様々に異なる生き物たちが生存を賭けつつ在る、豊穣さと厳しさとが伝わってくる。
1978年生まれの東影智裕は、動物の頭部を精巧に作成し、丹念に毛並みを入れて柔らかな質感を生み出している。穏やかな表情を浮かべる動物たちの深い瞳に魅せられる一方で、回り込んで見れば生々しく傷ついた剥き出しの皮膚が見えるなど、喜びと悲しみ、生と死、光と闇など、やはり対概念が背中合わせに共存しており、一方から他方へ、またその逆へと行き来を繰り返しながら、周囲をじわじわと侵食し、侵入してゆく。毛並みに注目しながら、リアルに既存の状況へと分け入ってゆくような東影の作品が、今村の作品と同じ空間に展示されるとき、一種の化学反応を起こしながら入り混じり、時に拮抗し、反発しながら変容が繰り返される。その緊張した関係や、一見したところ静謐さの中に、動的なものが隠されている「共生/寄生」のあり方は、衝突のリスクを孕みながらも、異界への通路を開くきっかけを与える。怪しく蠢く気配に耳をすまし、いつの間にか共振しはじめる二人の作家の世界がもたらす新たな地平-新たなForest(森)の出現に立ち会うことで、その関係の網に自らも組み込まれて、包まれつつ外部へ繋がる穴へと誘われるだろう。

ー 加須屋明子 Akiko Kasuya(今展キュレーター)


<Artist Statment>

「かくして境界は絨毛に覆われて」今村源 Hajime Imamura

東影さんの作る動物は一番最後に動物の毛並みを作るのだと聞きました。そしてそれが最もやりたいことであり重要な行程のようです。あたかもパンの固まりにカビが繁殖していくごとく少しずつ毛並みが仕上がり全体を覆い尽くす。ここで思い出したのがデスモンド・モリスの裸のサルのイメージです。もちろん人間のことを指してこう表現しているですが、言葉を換えれば自分とその周りとの境界に生える毛をなくしてしまったとも表現できます。本ではこうなることによって狩猟型のサルになったと説き、捕った獲物をため込むことも覚え、戦争をするサルになったと。

境界に生える毛とは何なのでしょうか。それは視覚的にもその境界をぼやかし曖昧にしています。その表面積は圧倒的に増し、密接に関わりを持てるようになっているとも言えるかもしれません。しっかりと遮断するのでなく、緩やかにそこを分け隔てながらも、敏感にやり取りしながら外との関係を作っていくものなのでしょうか。

先ほどパンに付くカビのたとえを書きましたが、近年興味を持っているキノコもカビの仲間であり、異種の生き物の間を取り持つような働きをしております。分けられた境界を取り持つには毛のような形体が必要とされるのかもしれません。

考えて見れば人間も身体の中に入れば絨毛に覆われています。小腸の絨毛の表面積はテニスコート1面分の広さがあるそうです。分け隔てながらやり取りするにはそれぐらいの面積が必要なのかもしれません。我々の身体の表面に残った毛は何の為に残っているのでしょうか。失ってしまう最後の時期を生きているのでしょうか、さてその未来は、毛のことを考えると興味は尽きません。


「共生、寄生」東影智裕 Tomohiro Higashikage

共生と聞いて最初に浮かんだのが、クロオオアリとクロシジミ、サムライアリの奴隷狩り。クロシジミの幼虫は成虫になるまでオオクロアリに世話をしてもらい、代わりに蜜を分泌してアリに与える。昔見た本には、何故蜜だけでオオクロアリがクロシジミの幼虫を大切に育てるのかわかっていないが、理想的な共生のかたちと書いていたけど、研究が進み、クロシジミは幼虫の間、アリの臭いを真似て、クロオオアリをだましていることがわかってきたそうです。サムライアリはクロヤマアリを奴隷として狩り、身の回りの世話をしてもらう。これも共生といえるのか気になり調べてると、共生には相利、片利、寄生など他にも色々と含まれ、どうも共生は穏やかな関係で保たれている訳ではないらしい。では自分自身と作品の関係は何だろう?と疑問に思う。

私の作品は動物の頭部を模した形状に少しずつ毛並みを覆って行きます。この毛並みで覆う行為が自分にとって、最も重要な意味を持っていると、近年強く感じるようになっています。毛並みは何かに覆い被せないと形を保つことができません、自分自身の思いを毛並として何かに寄生させ、やっと形を留める。私と作品の関係性は、相利共生ではなく、寄生そのものなのかもしれません。


今展キュレーター:加須屋明子 Akiko Kasuya

京都市立芸術大学美術学部教授
1963年兵庫県生まれ。1991年京都大学文学部哲学科博士後期課程修了、美学芸術学専攻。1989年より91年までヤギェロン大学(ポーランド)哲学研究所留学。国立国際美術館学芸課主任研究員を経て現職。専門は近・現代美術、美学。
主な展覧会企画は「芸術と環境」1998年、「いま、話そう」2002年、「転換期の作法」2005年、「龍野アートプロジェクト」2011-14年など。
主な著書は『中欧のモダン・アート』(彩流社、2013年、共著)、『中欧の現代美術』(彩流社、2014年、共著)、『ポーランドの前衛美術』(創元社、2014年)、『至宝のポーランド絵画』(創元社、2014年、翻訳)など。