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2016年5月28日(土) - 6月18日(土)

稲垣元則 Motonori Inagaki
Sequence - Drawing

稲垣元則の視点を巡る、連続した3つの個展 −
“写真 - 映像 - ドローイング”
不可分な行為の繰り返しの先に見る未開の地平


作家活動の開始より四半世紀、つねに変わらぬ姿勢で自己と対峙し、写真や映像、ドローイング等のメディアを用いて作品の制作を続ける稲垣元則 。
そのスタイルは、幾年にも渡り同じ場所へ赴きカメラのシャッターを切る、身体の反復する動作を撮影する、日々同じサイズの紙にドローイングを描き続けるなど、一見単調な繰り返しに見えるその制作行程の中から、物事の抽象性や新たな視点を獲得し、主観を排した独自の世界観を確立。そのイメージは、見る人の意識の中に時間をかけて浸透し、記憶に残る深い印象を与えてきました。

今展では会期をアウトプットの技法に合わせ3回に分けて開催。各技法の特徴を顕在化させながら、稲垣作品の内に通底する“得体の知れない何か”を探り当てる試みとなります。

各会期ごとに稲垣作品を良く知る専門家を
ゲストに迎え、トークを開催。
作品の魅力をより深く知ることの出来るまたとない機会に。

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"稲垣元則:Sequence - Photograph" 2016.4.23 sat - 5.10 tue
・Opening event:4月23日(土) 18:00- 無料
 Talk:稲垣元則 x 永草次郎氏 (帝塚山学院大学 教授)
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"稲垣元則:Sequence - Movie" 2016.5.14 sat - 5.24 tue
・Talk event:5月20日(金) 19:00- 無料
 Talk:稲垣元則 x 鞍田 崇氏 (哲学者)
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"稲垣元則:Sequence - Drawing" 2016.5.28 sat - 6.18 sat
・Opening event:5月28日(土) 18:00- 無料
 Talk:稲垣元則 x 加須屋明子氏 (京都市立芸術大学 教授)
・.es (ドットエス) “曖昧の海”レコ発 & 展覧会関連 Live “Sequence”
 6月18日(土) 19:00 - 料金 ¥2,000.-
 ※ 稲垣元則とのコラボCD「曖昧の海 / Ambiguity Sea」を進呈
 出演:.es [ドットエス: 橋本孝之 (sax) & sara (piano)]


稲垣元則:Sequence - Drawing
あらゆるものの感情や物語を反射する「Drawing」


作家ステートメント / Artist Statement
ドローイング描き続けることは、歩くのに似ている。
今いる場所を少しずつずらしていく。
新しい場所は発見となり、かつていた場所は過去や記憶となり、そのすべての繋がりは大きな地図となる。
歩き続けることで、かつていた場所の意味や価値も変容しつづける。
それは、あらゆる事象が過去と未来、時代の流れにより見え方が変化し、その意味と価値が破壊・再生され続けることも関係している。
そうした行為と状況を俯瞰して見つめること自体が、
私のドローイングである。

稲垣元則 Motonori Inagaki
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稲垣元則 ― 観察の連続、闇を捉える
加須屋明子

稲垣元則はドローイング、写真、映像など様々な技法を用いながら、周囲の事象を観察し、物の背後にあるかすかな気配を抽出する手法を継続的に展開してきた。制作活動の初期、まだ大阪芸術大学在学中の1992年から94年にかけて、自身の表現方法を模索するうち、B4のコピー用紙にドローイングするという現在まで続く制作スタイルを考案した。コピー用紙は身近で安価な素材であり、制作にも気軽に取り掛かることができるほか、サイズも比較的小ぶりであることから表現にたどり着くまでの障害もより少ないため、この技法は平易で親密な方法のやり取りを継続しやすい。稲垣はこのB4の用紙を縦に使い、極めて象徴性の高い表現によって、それぞれの周囲の事象を観察し、心に残るある状況のエッセンスを抽出するように要素をそぎ落としつつ、物事の核心に迫るという、ドローイングによる表現をそれ以後も追求し、また平行して写真や映像を使った表現にも積極的に取り組んでいる。

稲垣の子どもの頃の思い出で、夜釣りに連れて行ってもらったことがあったという。ゴムボートでテトラポットのところまで出かけて釣り糸を垂らす。稲垣自身はさほど釣りに興味がなかったため、一人でゴムボートに乗って、周囲をぐるぐる漕ぐうちに、テトラポットの外海に出たタイミングがあった。その際の、眼前に広がる闇の深さと、底知れない海の姿とが強く印象に残っているらしい。自分とすぐ隣合わせにある、闇の世界、あるいは死というものの存在を肌で感じた、ということかも知れない。古来、多くの文化や宗教において、闇と光は重要なテーマとして多くの物語や神話にも登場してきた。闇と光はしばしば死と生の比喩として用いられる。昼と夜とが交代する黄昏時は魔の刻として恐れられることも多く、日本でも「逢魔時」や「大禍時」つまり「妖怪や幽霊など怪しいものに出会いそうな時間」、「著しく不吉な時間」などと考えられてきたが、稲垣自身も、何かの状態が移り変わることに恐怖を覚え、特に夕暮れや夜明け時には不安に襲われるという。

稲垣は、そうした正体のわからないものの気配を感じ取り、その時自分が一体何を見ているのか、見えているものの背後に隠れたもう半分の存在、闇や死を見出し、それを掴もうとして、不要な要素をそぎ落としてゆく。例えば同じ場所を何度も訪れてそこを観察し、写真や映像におさめたり、繰り返し、たゆまず制作を続けたりする過程で、それぞれの経験が蓄積されて地図となり、段階を追って少しずつ謎は明らかにされる。身近で日常的なイメージを用いながらも、どこか稲垣のドローイングは生々しく、また不穏な気持ちを掻き立てられるのだが、それは上述のような「暗闇」や「死」が背後に潜んでいるからでもあり、そこで表現されているのがある固定された完成形ではなく、その前後左右に継続してゆく世界を含んでの、それらを予感させる移行状態であることにもよるのだろう。「シークエンス」という単語は、まさにそうした稲垣の制作姿勢をよく示すものである。すなわち、あるものから別のものへと状態が移り変わる瞬間、不安定な、まだどちらでもないものの両義的なあり方を、稲垣は様々な手法を用いながら表現し、定着させようと挑み続けているのだ。

稲垣の作品には、具体的なモチーフが描かれているわけではなく、たとえ具体的な形が見てとれるような場合があるとしても、それは抽象性を帯びる何か、である。狭義のドローイングだけでなく、映像や写真等の技法を用いた場合にも、この基本姿勢は変わらない。稲垣は、自らを取り巻く状況を静かに注意深く観察し、目の前に実際に見えているものと、見えないもの、世界の半分を占める暗闇の世界という、その両方を定着させてゆこうとしている。目に見えないものに思いを馳せた時、心に入ってきてそのまま中にとどまっている曲者―実際に世界を動かしているものの半分は、そうした目には見えない暗闇の部分、言葉では説明しがたい何者かであるのかも知れない。それを明らかにしようとしても、どうしてもわかりきれない謎として残り続ける。この消化しきれない「何か」を、稲垣は人の体の中に入れようとする。例えば生きること、死ぬこと、死後のことなど抽象的で捉え難い概念を彼は何とか捉えようとし、イメージのしりとりのように、繋がりを広げてゆく。素材技法が異なっても、「同じ重さにしたい」という稲垣の言葉通り、各作品に表現されているものの質は同等と考えることができる。ここで表現されているのは「不在の在」あるいは「不在と存在のあわい」であり、制作は「昼間の明るい世界から退いた死者たちの痕跡」、すなわち闇を捉える作業と言えるだろう。


加須屋明子 Akiko Kasuya(京都市立芸術大学美術学部教授)
1963年兵庫県生まれ。1991年京都大学文学部哲学科博士後期課程修了、美学芸術学専攻。1989年より91年までヤギェロン大学(ポーランド)哲学研究所留学。国立国際美術館学芸課主任研究員を経て現職。専門は近・現代美術、美学。主な展覧会企画は「芸術と環境」1998年、「いま、話そう」2002年、「転換期の作法」2005年、「龍野アートプロジェクト」2011-14年など。主な著書は『中欧のモダン・アート』(彩流社、2013年、共著)、『中欧の現代美術』(彩流社、2014年、共著)、『ポーランドの前衛美術』(創元社、2014年)、『至宝のポーランド絵画』(創元社、2014年、翻訳)など。