過去の展覧会

<

2017年6月17日(土) - 7月15日(土)

池垣タダヒコ Tadahiko Ikegaki
リボンと角柱 Ribbons and Prisms
  • Opening Party 2017.6.17 sat 18:00 - 19:30 無料  ※ 終了致しました


  • 会期中イベント : 城東区役所連携イベント“音楽の祭日”コンサート
    2017.6.21 wed open: 19:00 / start: 19:30 無料
    出演 : Ripple (リプル / piano, flute), sara (.es ドットエス / piano)  ※ 終了致しました


池垣タダヒコ、ギャラリーノマル2年振りの個展

高校卒業後メキシコに3年間滞在し、その圧倒的なエネルギーに多大な影響を受けたのち1977年に帰国、以後美術の道に進んだ池垣タダヒコ。版画を起点に持ちながらも、平面・立体と多様な作品を発表し、自身の好奇心、探究心と真摯に向き合いながら絶えず新しい表現を模索し精力的に活動を続けています。
ギャラリーノマルでの2年振り2回目となる今回の個展では、腐食させた銅板を組み立て彩色を施した立体作品、また版画やドローイングとスナップ写真を組み合わた新シリーズの平面作品など、新作と近作を併せて展示いたします。

展覧会にあわせ、作品集を出版

池垣が日々書き溜めている膨大な量のドローイング等を精選し約200ページに編集、1冊にまとめた作品集をノマルエディションより出版いたします。執筆は美学者の谷川渥氏と批評家の清水穣氏。作家“池垣タダヒコ”を読み解く充実した内容となっています。
なお今展のタイトル「リボンと角柱」は、清水氏の寄稿文表題に由来しています。

夏には作家初となる台湾での個展も決定

今展終了後すぐ、8月11日(金)~9月8日(金)にかけて台湾の現代美術画廊“Galerie Grand Siècle(新苑藝術)”にてノマルとのエクスチェンジ・プログラムによる個展開催も決定。
2017年、国内外に躍進する池垣タダヒコの活躍をどうぞご注目ください。


--
作家コメント
 昨年、展覧会に合わせてドローイング作品集を刊行するという事で、そのテキスト原稿を谷川渥氏、清水穣氏両氏に依頼しました。お引き受けいただき心より感謝いたします。その中で清水穣氏から頂いた「リボンと角柱」という表題が気に入って、今回の展覧会名に使わせていただきました。どこかシュールでキリコの世界のような形而上イメージがあります。またフランシス・ベーコンのような狂気も孕んでいそうです。日常がずれて違うものに見え何かが奥に潜んでいるような予感がして、また高踏な気持ちになってさまざま考えられそうになるこの言葉をたいへん気に入っています。ずっと携えながら制作していきたい気持ちです。
 私は銅が好きで銅版画をプロパーに版画制作をして来ました。エッチングなどの技法で銅の表面を酸で腐蝕して、凹凸をつけてレリーフ状に製版をします。銅版画の仕組みは版の凹凸にインクが詰められプレスされ紙に印刷されるのですが、その構造が物理的で図解のように見えて私にはわかりやすく、さまざまにアイデアが浮かび私なりの応用が可能でした。
 銅自体も不思議な金属です。青銅器の時代からの人類最古の金属ですが、よく何もなかった時代に野山で発見され、溶かして型枠に流し込んで成形できたものと感嘆します。私が使用する薄銅板は0.8mmで、ハサミでも容易に切れて金属なのに柔らかく、まるでドローイングで描いた線のように感じます。銅の表面は生ハムのようでどこかしっとりしていてデリケートに思われ、そのままにして置くとすぐに酸化し黒くなったり、緑青が吹き出たり、また白銅、赤銅、黒、など七変化します。版画も媒体として過去の記憶のメディアでしたが、銅の表面も記憶を残すためのメディアになると思います。表面は銅版画の直接技法のドライポイントのように傷が付き易く、その傷は記録されたデータと言えるでしょうか。また、表面に緑青のようなサビを生じさせて内部を守ることで長いあいだの保存を可能にすることでも生き物のような賢い金属だと思います。

 レリーフ状の世界にある奥行きや箱庭的世界観にも興味があります。360度周りから鑑賞できる立体ではなく、平面的で壁にくっ付いているレリーフの世界で、斜めからのぞき込めるような世界の面白さがあります。それは二次元のドローイングの世界と三次元の立体の世界を往来するような楽しさがあります。
 平面の世界は重力から解放され何処にでもイメージを置く事が出来て自由に紙の中の空間を飛び回ることができます。しかし、素材の持つ物質性が無くリアルな手応えがありません。制作過程においても立体の場合は素材の可塑性や造形性などが展開のヒントになることがありますが、ともかく紙の中の手応えがない机上の話になってしまいます。一方、立体は材料から、加工までコストがかかります。また体力と時間が必要となってきます。リアルの現実感が全員勢ぞろいで襲ってきます。何よりも新たな物体を出現させるといった神的で即物的な快感は立体が優っていると言えるでしょう。片方に行き詰まると隣の芝生が青く良く見えて、しんどくなってくると楽しそうな方に逃げて、うまく自分を騙しながら、今日も行ったり来たりするのでしょうか? そしてこの往還が左右の足で歩行するように制作が進むのである。聞いた話であるが、人は立っている時でもさえ左右に振り分けて体重を移動させているらしく、両方同時に均等に体重がかかると倒れてしまうらしい。つまり私も平面と立体をバランス良く作り分ける事が必要で、そうすれば倒れずにもうすこし先まで作り続けられるように思います。

2017年4月14日 池垣タダヒコ Tadahiko Ikegaki