過去の展覧会

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2003.3.8 sat - 3.28 sat

Nomart Projects #02_04
馬場晋作 Shinsaku Baba
multiplication
  • オープニング・パーティー 2003.3.8 (村井美々展と合同開催) sat sat 17:00 -



2003年2月8日からスタートしたNomart Projects#2の前半4回目、馬場晋作のLOFTでの個展 (村井美々展と同時開催)。
シリコンで作られた極端に拡大、デフォルメされた花のレリーフ作品をLOFTの壁面にダイナミックに展示。奥には水槽に水を湛え、その水槽表面に金魚のイメージをプリントしたシートを貼った立体作品を配置。また2Fではシリコン板に映画やテレビのワンシーンをシルクスクリーンでプリントし、それをアクリルケースで中空に浮かせ下からライティングした作品5点を制作・発表しました。

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ノマルエディションの若手作家の発掘・育成プログラムとして2001年にスタートした「NomartProjects」。その第2弾として、今回は三脇康生氏(美術評論家, 精神科医)をキュレーターに迎え、ノマルエディション/プロジェクト・スペースのCUBEとLOFTの2会場において春に6人、夏に4人、計10人の若手作家の個展を開催。


前回#1ではグループ展+個展という形態でしたが、今回のプログラムは10作家、すべて個展での展覧会となりました。

各個展の狙いは、ある程度表現を持続させてきた若手作家が、いかに表現を見直し、展開させるのか、それを考察する瞬間につき合い、見守る─ノマルエディションが工房 (制作)・ギャラリー (発表)の場を与え、批評家としての三脇氏の用意する言葉を参照してもらう─ことにありました。

それぞれの作家のステートメントも伴いつつ、個展の度に企画者である三脇氏が文章を執筆し、発表されました。


[Nomart Projects#2 参加作家]
[前半]
中比良真子 Masako Nakahira / みやじけいこ Keiko Miyaji
村井美々 Mimi Murai / 馬場晋作 Shinsaku Baba
三宅砂織 Saori Miyake / 谷本良子 Ryoko Tanimoto
[後半]
梅木香里 Kaori Umeki / 児玉太一 Taichi Kodama
衣川泰典 Yasunori Kinukawa / 中西信洋 Nobuhiro Nakanishi



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作家コメント

知覚と視覚の関係は、常に不安定です。
 我々は視覚の世界に取り囲まれています。それは同時に再生産された視覚=イメージの世界でもあります。実に簡単に物事を判断する時にでも、我々はイメージを生産します。さまざまな引き出しから、さまざまな根拠を持ったイメージが連鎖し合い、増殖し出すのです。このイメージへの変換。これに気付いた瞬間、現実に見ていたはずの世界が一気に崩れ落ち全てが彼らに取って変わられる事実に、時折愕然とします。
 見ているものはいつも知っているという事に更新され、既存のイメージとの融合、切断、再構成の誘惑につきまとわれる。知らんぷりする事もできずに、また別の引き出しにしまっておく。またきっといつかものの見方を具体化するのに役立つのだから…いかに我々の視覚経験が表層的でたよりがないものか。しかしこれにたより付き合っていかなければならないのもまた事実なのでしょう。
 私の仕事は、この事実に向き合うという他にありません。あらゆる事物が身にまとい、抱え込んでいる“イメージの負債”を、薄い皮のように剥ぎ取っていく。そうして一つ一つゆっくり慎重に発見していく喜びは、私の認識を少しずつ解体し、再構築していくのです。花が美しいという事は誰もが『知っている』事ではないでしょうか。自然でありながら、観賞されるという特質を持つ。私はあえて一般的なイメージを選びながら、取りこぼしてしまうような別次元のイメージを再定着させたいのかもしれません。もちろん『知っている』を引き受けて行く事を大前提として.

馬場晋作 Shinsaku Baba


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ー 三脇康生より馬場晋作へ

「映像もの派」よ、さようなら

 シリコンのシートあるいはシリコンの塊、その中に映画や、テレビのワンシーンが描き込まれる。もしこれが、画廊のフラットな壁にそのまま架かれば、予め用意された上げ膳据え膳の壁に架かれば、安易にキャンバスの代わりにシリコンが用いられているだけになる。そこから帰結するのは、映像のプリン状の封じ込めであり、これを「映像もの派」と呼んでおきたい。しかし馬場本人のステートメントのなかにもあるように、本当は馬場は「映像の貧しさと豊かさ」とつき合う方法を探しているのだから、シリコンを使うことをその方法と突き合わせてみなければならないはずである。
 なるほど映像は貧しい。すべてはデジャブのような気もする。映像の資源となるこの世が、それこそビデオなら、早回ししたいものだ。しかし映像は豊かである。物語と無関係な細部を丁寧に撮る映画監督がいてくれる例が存在する。馬場にどうしても分かってほしいのは、まず映像の貧しさと豊かさを平均して割ってもなにも面白くないということである。それが「映像もの派」への罠だ。貧しさとつき合いながら、不意に豊かさと出会い、呆然としてしまう、それが馬場の方向性なのだろう。だとすれば、その方向性へと、あるゆる制作の条件を整えていくべきなのだ。
 水とシリコンの間に「へしゃげた」金魚は水槽で妙に活き活きし、シルクスクリーンのドットが「押しつぶした」映画のシーンでは、物語から逸脱した細部の小物が、下からの光を浴びて増殖しそうな勢いを伝える。ネットに転がっている花のイメージ、それは「死んでる」花だけれど、引き延ばされて描かれてシリコンに包まれて、たわみながら生える。それが今回の展覧会の目論見ではないかと、私は思っている。
 イメージの貧しさとつき合いながら、不意に豊かさと出会い、呆然としてしまう、そのためにこそシリコンを使う。それを説得していく、この一点に「映像もの派」からの離脱がかかっているのではないだろうか。

三脇康生 Yasuo Miwaki


今展キュレーター: 三脇康生 Yasuo Miwaki

1963年生
京都大学文学部美学美術史専攻、卒
京都大学医学部、卒
フランス政府給費留学生としてパリ第一大学科学哲学科博士課程留学後、京都大学大学院医学研究科博士課程、修了

[専攻]
美術批評、臨床精神医学、精神医学の倫理・歴史・哲学
[著作]
「精神の管理社会をどう超えるか?」(松藾社)
「ア−ト×セラピー潮流」(フィルムアート社)
「ナルシシスムを静かに破壊せよ」(ノマルエデション) 他