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2005.9.3 sat - 10.1 sat

田中朝子 Asako Tanaka
♭ [ flæt ]
  • オープニング・パーティー 2005.9.3 sat 17:00 -



2003年の個展では、パネルの間を縫うように作品を観ていくことのできるインスタレーションをLOFTにて発表。さながら迷路の中を縫うように歩みを進め、曲がる度に次々と現れる作品は全部で100点。アクリルBOXに写真や版画などの作品をおさめたアーティストブック、「boox」の全作品を展示したこの試みは、“本の中を巡るように作品を観てもらいたい”という田中朝子の思いを具現化したものでした。

2年振りとなる今展は、コーヒーカップやそら豆など、身近なモチーフが田中独自の視点で切り取られた新作の写真作品約20点と、“炎”をモチーフとした写真作品も併せて発表。またLOFTでは、写真作品を中心に立体作品もあわせて設置し、それら全体の関係性をもって空間のパースペクティブにズレを生じさせるような展示となりました。



作家コメント

私の作品は、日々の生活の中の些細な錯覚 (見間違い、聞き違い、思い違い)、あるいはそれが間延びしたぼんやり虚ろな状態から始まる事が多いです。それを現実と非現実との境界と言うと、少しばかりミステリアスな響きがするかも知れませんが、私においてのその状態というのは、さほど不思議な匂いのするものではなく、現実と非現実が特に違和感なく共存している世界です (『不思議の国のアリス』の中のアリスが本を朗読するお姉さんと三月ウサギを同時に見ている場面に近いかも知れません)。そういった「錯覚」の中のお気に入りに尾びれ背びれをつけ、あるいは外して、それを形あるもの(例えば写真)に置き換えているのです。
そんな経緯からなる作品のイメージは、日常とそう懸け離れたものではなく、音楽で例えるなら楽譜の臨時記号の「♭ (フラット)」の様に、暗黙のうちに想定された日常の流れからほんの束の間、僅かにズレたものです (まさに、ふと音程を外し、そしらぬ顔をして歌い続ける音痴な人の歌の様に)。その半音だけのズレは、ズレきっていない、つまり終わりや結果に至っていないものです。それは否定的に言えば中途半端、肯定的に言えば未来があります。しかし私が半音のズレに思うのはそのどちらでもなく、見る人の目や心に残す「余白」、つまり意味の「余白」です。そこにまた次なるフラットなズレが侵入し、新たな意味や余白が生まれるーそんなことを漠然と思っています。それは結局、肯定的に未来を見ているという事なのかも知れません。

田中朝子 Asako Tanaka