on the table

中川 佳宣
Yoshinobu Nakagawa

2003.10.18(sat) - 2003.11.15(sat)
13:00 - 19:00 日曜・祝日休廊
Closed on Sunday and National Holiday





ノートより

 この春、我が家とスタジオが建つ敷地の東側にある休田地を畑として借り受けることとなった。三百坪ほどの畑に鍬を振るい畝を作り上げるという作業だけでも半端ではない。勿論、そうした行為をどういった手順を踏んで行えばいいのか、ということくらいは田舎育ちの私の記憶の中に鮮明な映像として焼き付いている。しかし、これほどの畑を経験的にずぶの素人が手に負えるものではない。途方にくれながらも、収穫期を考えて時期的によさそうな種を蒔いた。

 葉物の野菜などは高くからパラパラと畝の表面全体に万遍なく蒔いてやり芽の出たところで2、3回に分けて間引きをしてやる。西瓜や南瓜といった地を這い広がる作物は広がることも計算に入れて間隔をあけて2、3粒ずつ丁寧に蒔いてやり、霜に弱いため竹と透明なビニルで簡易なドームを作ってやる。同時にそのまわりの土の上には敷き藁を施し実りの頃にその実が直に土と接することのないようにしてやる。このことも遠い記憶の中に描き込まれた風景である。

 考えてみれば、ものを眺めるということを見なれた風景というものを介して考えてきたように思える。田畑を耕作する黒牛やそれを操るお百姓さんといったものから、一列に並び手際よく植え付けられてゆく田植えの光景、刈り取られ干された稲穂や収穫後きれいに積み上げられた稲藁の塔といったものまでが同じ風景を背に目の前に展開していたのである。とにかく眺めていることが好きであった。何時間でも畦に腰を降ろし、じっと眺めていたのである。とくに種蒔きという行為に強い感心があったように記憶している。田植えの準備に用意された苗代に種籾を蒔くときなどは実に興味深かったことを思い出す。農夫は畦を何度も行き来しながらそれが均等に万遍なく蒔かれた状態になるようにパラパラと水面にアプローチしてゆく様は見飽きることがない行為であった。今思えば絵画の文脈といくらでも結び付けて語ることができるが、その当時として何がそれほど幼い子どもの心を魅了したのか記憶にはない。

 種に向けられた視線というものを考えてみたとき、あるいは畝と畝との間にしゃがみ込み「草を取る」という作業をくり返す中で注がれている眼差しというものを思うとき、決して個人的なものだけでなく、ずっと以前から、あるいはずっと遠いどこかの国で、くり返し注がれ続けてきたもののように思えてしかたがない。「もう、そんな眼差しで農耕をする人はいないよ」と嘲笑されそうであるが、私にとっての「仕事」というものはこうしたやり取りだと思っている。能動として投げかけられる仕事を畝や土が受けとめてくれる。この関係は絵画やドローイングが「絵画やドローイングであるための」システムとどこか似たところがあり、そのことの面白さゆえ単純な作業ともとれる行為をくり返しているのだと思っている。勿論、そのことの面白さと言うのはフォーマルな絵画が持つようなリアリティーではなく、とても個人的なものとしてそこにある。私が私である以前に、私の祖父もそうであっただろうという「からだにしみ込んだ」とでも言うべきリアリティーなのかもしれない。私が私である以前から脈々とくり返されてきた人の営みに対して、私が私として存在できるものがあるとするのなら、おそらくそれは何のかかわりも持たない2つの事柄を私という文脈の中でかかわらせるということなのだと思う。

畝と作物、台座と彫刻

中川佳宣