日々繰り返される「描く」行為によって、稲垣の内にあるイメージが洗練され、明確な形を持つことはない。そのことに、なぜか凄みを感じるのだ。稲垣が自らの作品について「Drawing on Paper」「Drawing on Photo」「Drawing on Tape」と説明するように、メディアが違えど稲垣にとっての表現活動は、すべて「Drawing」に帰結する。
今回の展覧会で、稲垣は112点のドローイングと、映像作品を中心に発表する。映像の仕事は、前回のノマルエディションの展覧会より始まったものだ。リリースシートの〈作家コメント〉にも、稲垣はビデオ作品についても少し触れているが、彼にとっての映像は、ドローイングで繰り返される「精神的運動」と、一糸たがわぬものが見てとれる。風景や植物、あるいは自らの身体を使ったイメージの連続。そこに映っているものは、ドローイングと違って、確かにこの世に存在する現象であるのに、その現実に引き戻されることを許してくれない。今回の映像の新作は、6台のテレビモニターに投影され、ロフトの床面に並べられる。6つの映像は互いに干渉しあいながら、行きつ戻りつ稲垣の内の世界に引き込んでくれることだろう。
また、今回の展覧会における初の試みとして、ハードカバー仕様・A4サイズの本を6冊発表する。80頁の白い本6冊に、稲垣が直接、油彩を描くという作品集だ。ドローイングを抜粋して装丁するのではなく、間違いや失敗も含んで、稲垣が白い本を埋め尽くすという行為の集積といえる。展覧会まであと1カ月以上あるが、まだそれらの本は、最初の数頁しか描かれていない。油彩あるいは鉛筆によって描かれる本の完成が、待ち遠しくてならない。完成、という言葉は間違っているかもしれない。80頁を埋め尽くしても、それは稲垣にとっての完成ではないだろう。A4かつ80頁という制約を自らに課し、無理矢理に80頁目でその行為を終わらされる痛みを、今、稲垣は感じていることだろう。