827 DRIVES

ログズギャラリー
ROGUES' GALLERY

2008.1.12(sat) - 2008.2.2(sat)
13:00 - 19:00 日曜・祝日休廊
Closed on Sunday and National Holiday






ログズギャラリー × 木ノ下智恵子(今展招聘キュレーター) × 林 聡(ノマル・プロジェクトスペース / ディレクター)
2008年1月12日(土)18:00〜

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「ライブからソロアルバムへ」 木ノ下智恵子 Chieko Kinoshita

ログズギャラリーの『ガソリンミュージック&クルージング』は、日常的な行為である「車によるドライブ」を独自の音響システムで異化し、聴覚のみならず、移り変わる風景や身体に伝わる振動を通じて作品を体感する、オリジナルの楽器あるいは音響/映像装置によるライブと言える。この空間装置の特性として、フィールドとなる地域の風土や都市の環境、そして季節の景色や空気感といった、あらゆる要素が重要であり、かつ、車内の限られた空間に同乗する人々との間合いや対話も一部となるという点で、双方の作法で時間と空間が成立する「茶道」にも通じているように思う。
 私は、『ガソリンミュージック&クルージング』の初代車(ジムニー)時代から、シトロエンの大阪でのドライブ、チューンアップされた新生シトロエンによる日本列島の横断プロジェクトの現在まで、何度もドライブを体験したが、一度たりとも同じように感じた事は無く、毎回、自身の眠っていた知覚に気付かされる。
 従来のアーティストの活動や作品では、常に新作を期待され、新たな展開が求められるが、ログズギャラリーの『ガソリンミュージック&クルージング』は、彼らが、いぶし銀の爺様になっても続けて欲しい秀作だ。
 そんな、「車」と「道」を表現の場に究極のライブパフォーマンスを展開してきたログズギャラリーが、『ガソリンミュージック&クルージング, 日本横断, 2006-2007』を始動。車の整備場所となった北海道を皮切りに、青森、豊田、横浜、高松、和歌山、淡路島、広島、高知、倉敷、大阪、丸亀、福岡などの各都市で『ガソリンミュージック&クルージング』を軸に、デモンストレーション、トークショーなどを行ってきた。
 また、この旅では車内にビデオカメラとGPSを設置し、ドライブの軌跡や映像及び車内の音声等を記録し続けており、現時点に於いて、すでに膨大な旅の記憶となっている。
 恐らく彼ら自身は、プロジェクトを始動させた当初から[記憶/記録を作品化する]という戦略的な意識は無かっただろう。ただし、この記憶の集積は、単なるドライブレコーダーではなく“新たな何か”に成り得ることは直感的に感じていたに違いない。そして、プロジェクトのデータとしてのドキュメントやアーカイブに留まらず、別格の作品に昇華させるためには、正面を切って活動の軌跡を編集/加工する、第三者の客観的示唆や技術が必要であることも熟知していただろう。
 それは、様々な手法のフィールド・レコーディングによって集積された音源を元に作曲する現代音楽家の制作法にも通じる一方で、ライブの醍醐味とは別の次元で自らの作品性を問い直す機会として、プロデューサーや各種プロフェッショナルなスタッフとのミーティングを重ね、スタジオに蘢り、あらゆる技術や環境を使いこなして、ソロアルバムを創るプロセスに似ているのかもしれない。
 『ガソリンミュージック&クルージング』の真骨頂は、ドライブ(ライブパフォーマンス)であることは揺るぎない。しかしながら、ログズギャラリーというアーティストにとって、展覧会という初のソロアルバムを如何に創り上げるかは、出来事という時間や場所を取り扱うプロジェクト型アートの新たな指標を示すことにも繋がっている。
 その可能性を現前させることが、今回のノマルプロジェクトの主眼だ。
 未だ、ソロアルバムの全貌は明らかになってはいないが、先日、作品(楽曲)の一つである『DRIVES』の試作を見た。
 かつて、伊能忠敬が日本を隈無く歩いて計測/形成した日本地図がそうであったように、ログズギャラリーは『ガソリンミュージック&クルージング』で五感を刺激する格好の体験を通じて作品を個人の身体に記憶させ、更に、新生シトロエンという絵筆を用いて日本固有の地形を描き出し、日本横断のライブツアーを重ねた何層もの旅の記憶(プロジェクト・ドローイング)によって、まるで身体に流れる血潮のように有機的な地脈の様相を露にしていた。
 さて、この他にもドンドン作品(楽曲)が創られている。どんなフルアルバムが仕上がるのか、今から視聴が楽しみだ。