うつつ
utsutsu

黒宮 菜菜
Nana Kuromiya

2018.9.29(sat) - 2018.10.27(sat)
13:00 - 19:00 日曜・祝日休廊
Closed on Sunday and National Holiday





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○ 初日トーク・イベント 2018.9.29 sat 18:00 - 無料
  トーク:黒宮菜菜 x 江上ゆか (兵庫県立美術館学芸員)
  * 終了後、オープニング・パーティーを開催

○ 最終日 関連イベント | Closing Live "Exhibition of Sounds"
  2018.10.27 sat open 19:00 / start 19:30 -
  料金: adv ¥2,500. / door ¥3,000.
  出演: CONTROLLED DEATH (山崎マゾ)
     透過性分子 (岩田裕成) 音源 + PV F. Oki
     Duo Siedl / Cao (ジードル / カオ) from オーストリア
     .es (ドットエス: 橋本孝之 & sara)
  → Facebookイベントページ



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独自の幻想的な絵画表現で世界の様をうつしとる ー
気鋭作家、黒宮菜菜のギャラリーノマル初個展

画面一杯に濃密に描き出された、境界の曖昧な群像の絵画作品をこの数年の間でご覧になられた方も多いのではないでしょうか。
関西では、2016年京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでの大規模な個展、2017年京都芸術センターで開催された3人展での広いホワイトキューブを使用した個展形式の展示。関東方面では「トーキョーワンダーウォール2014」でのワンダーウォール賞受賞や、2018年「第21回 岡本太郎現代芸術賞展」での大作の出展など、近年その精力的な発表と研究を重ねた独創的な作風で注目を集めている作家、黒宮菜菜。
ギャラリーノマルでは2018年初頭のグループ展参加に続き、満を持して初個展を開催致します。

曖昧な輪郭を通して感じとるリアリティのありか ー

学生時代油画を専攻していた黒宮は、当初コンセプチャルな作品を制作していましたが、大学院に移ってから、描くことの本質を深く探求する中で現在の技法に辿り着きました。
黒宮の作品は、主に人物像をモチーフとして、液状に溶いた油絵具による油彩作品と、重ねた和紙に染料を滲ませて描く紙作品、2タイプの技法を使い分けて制作されます。画材の滲みをコントロールし、さらに描画を加えることでイメージの曖昧さを現実に引き寄せる描き方は、その綱引きのような微妙な行為自体が作品のコンセプトとも繋がっています。
画中に現れる透明で不確かな輪郭となった身体像を通して、私たちは日常の知覚や認識の希薄さ、曖昧さに気付かされるだけでなく、そこに「曖昧な世界」のリアリティを感じ取ることが出来るのではないでしょうか。

「うつる (移る・写る・映る)」をキーワードに挑む、ギャラリーノマルでの初個展 ー

ギャラリーノマルでの初個展となる今展では、これまでの制作で密接な関わりのある言葉「うつる」に着目。言葉のもつ本来の意味を手がかりに、自身の作品を深化、発展させる試みを、広いギャラリー空間でダイナミックに展開させます。
具体的には、"近年とり組み始めた文学作品の視覚イメージ化"、"物質としての絵具の流動や移動といった現象に焦点を当てた" 絵画作品に挑戦。視覚を伴わない文学作品のイメージ化は、イマジネーションとリアリティとの往還が境界をより曖昧なものとし、また"流動や移動といった現象に焦点を当て"ることで、状態や物事のうつろいを強く意識させるものとなるでしょう。

なお、展覧会の初日には、黒宮作品の変遷を長く見続けている兵庫県立美術館の江上ゆか氏とのトークを開催し、作品の本質とその魅力に迫ります。


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作家コメント
わたしの描く作品には、3つの「うつる」過程が含まれている。1つ目は「移る」で、描く過程で絵具が滲んだり広がったり滑ったりして、もとあった場所から他の場所へと描写痕跡が移動していくということである。2つ目は「映る」で、二枚重ねた和紙に描画材を浸透させながら描くことで、二枚に同じイメージが転写され、それを開くと鏡に映ったようなシンメトリーの画面ができるということだ。そして、3つ目の「写る」は、先にも述べたイメージが転写されるという過程はもちろんのこと、小説から想起したイメージを支持体に写していくという過程や、画像、写真などを見本にして写生するということも含まれる。
少し前から、「うつる」という言葉には、「移」「写」「映」「遷」など色々な漢字が使われ、それぞれ異なった意味で使用しているが、なぜ同じ読み方をするのだろうと不思議に思っていた。強く意識していたわけではなかったが、結果的に自作品の制作過程に深く介入していた「うつる」こと。そのことと自作品との関わりはどのようなものなのだろうか。
本展覧会では、「うつる」という言葉を出発点に、近年とり組み始めた文学作品の視覚イメージ化と、絵具の物質的な流動や移動といった現象に焦点を当てた絵画作品を発表する。

本来、「移る」「写る」「映る」は、ほぼ同じ意味で用いられていたといわれている。これらに共通する概念は「移動」で、例えば、住まいを移ると生活の拠点が移動し、カメラに写ると像が写真へと移動する。また、鏡台に姿が映ると鏡面へ姿が移動するといったように、何かが働き別の場所へと行くことが「うつる」ということだった。
興味深いのは、この「うつる」の「うつ」という語根が、「うつろ」や「うつほ」や「うつせみ」といったものの「うつ」と同根であるということだ。「うつ(虚・空)」とは、内部が空洞になっている状態、何も入っていない、がらんどうの器物のようなイメージであるとされる。しかし、「うつ」はただ空っぽだけではなく、何か他の情報を宿す力が内在しているものであるとも考えられていた。例えば、古代シャーマンは、「サナギ」といわれる中が空洞の小さな鐸をいくつもぶら下げ、ジャラジャラと鳴らしながら、その「うつ」的媒体に未知の情報が宿るのを感知していたといわれている。何も入っていない入れ物に何かが宿り、次の瞬間には去っている。現れては消えていくという状態そのものを表す、生命循環の象徴のような役割を「うつ」は担っていたのだ。
 「うつつ(現)」という言葉もまた「うつ」を語根に持つ言葉である。順番としては「うつ」から「うつし・うつり(移・映・写し/り)」が生まれ、「うつつ」へ派生したといわれている。「うつつ」は「現・実」であり、目の前に広がる現実世界を指し、「うつろ」や「うつほ」とは真逆のもののようにも捉えられる。しかし、古代日本人は、目の前の世界は常に移ろいゆくもの、何ものかが投影され、うつっている世界だと考えていた。何もないところに何かが投写、投影され、それが常に移ろっている。そんな状態のものが現実世界であるという認識である。「うつる」という働きには、見えないものと見えてくるものを繋ぐ根源的な作用が備わっている。その力を借りて、かろうじて目の前に知覚できるようになるものが「うつつ(現)」なのではないだろうか。

黒宮菜菜 Nana Kuromiya


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うつろなうつわがうつすもの
江上ゆか Yuka Egami

黒宮菜菜の作品を最初に実見したのは2010年。当初抱いた、つややかな絵肌と粧飾的なスタイルの印象は、2013年の暮れ、神戸で見たグループ展で一変する。いや、今にして思えば、メディウムをたっぷり含んだ絵の具を流し滲ませ、ドットや模様を散りばめるなど、むしろ彼女ならではの一貫した要素も多かったはずなのだけれど、どの画面にもぐいぐいと太い輪郭線で引かれた人物の姿が、とにかく異様なまでの存在感を放っていた。とりわけ正面を向いた顔の中心にぐりぐりと塗り込められた瞳は、明らかにこちらを向いていながら、どこまでも深いうつろな穴にも見え、それゆえに見る私を通過してずっと彼方を眼差してもいるようで、「今ここ」など軽く凌駕する時間の奥行きを感じさせた。
黒宮はその後、重ねあわせた紙に染料を浸透させて描くという、これもまた独自の描法を手がけるようになる。あわせた紙を開くと、背景を織物のように埋めつくす室内装飾や木立とともに、エッジで囲まれたひとがたの余白もまた、鏡合わせのイメージとして出現する。思わせぶりな身振りの人物の繰り返しが、大画面ともなれば万華鏡のように連なり、いつの時代、どこの国の出来事かも曖昧なままに滔々と語りを展開する。近作では絵の具を流すタイプの作品でも、しばしば繰り返しによる群像が登場する。これら亡霊のような、だがたしかな存在感を示す人物たちは、まさしくひとがたであって、つまりそのうつろさゆえに、時を越えてさまざまな語りをうつすうつわとなり得ているのだろう。
今回の新作展のタイトル「うつつ」は、黒宮の作品世界と多層に多様に響き合い(今しがたの私の粗描など、そのごく一端にようやく触れたに過ぎない)、期待と想像とをかきたてる。作家のコメントによればこの展覧会は、気づけば自身の制作過程で幾つもの場面に組みこまれていた「うつる」を、あらためて見つめ考えることから始まったようである。うつろなからだといううつわが、どのようにうつつをうつすのか、進化と深化を楽しみに会場を訪れたい。


江上ゆか Yuka Egami / 兵庫県立美術館学芸員
1969年、兵庫県生まれ。1992年より兵庫県立近代美術館(2002年からは兵庫県立美術館)学芸員。近年、担当した展覧会に「阪神・淡路大震災から20年」(2014 - 15年)、「注目作家紹介プログラム チャンネル7 髙橋耕平 街の仮縫い、個と歩み」(2016年)、「美術の中のかたち 手で見る造形 中ハシ克シゲ—触りがいのある犬」(2018年/以上いずれも 兵庫県立美術館)など。