橋本孝之とフリー・ジャズ
坂口卓也

 橋本孝之さんと私の縁は2011年に始まった。その年11月に私が関与したRick Pottsという演奏者のライヴを彼が見て、Facebookの友人申請を送って来てくれたのだ。既に彼は.esで活動を始めていたと思うのだが、彼はそのことを記さなかった。自己紹介はただ一言、「音楽が大好きです!」だけである。今にして思うとそれは本当に彼らしい挨拶だった。

  初めて彼と対面したのは2012年の春だった。自分が主催していた震災復興支援のコンサートに、.esの相方であるsaraさんと共に来訪してくださったのだ。そして翌年から、.esは4年連続このコンサートに参加してくださることとなる。その年の夏には、ART OSAKA 2012の懇親会で橋本さんとあれこれ話す時間があった。覚えているのは、彼が「坂口さんは独身貴族なのでしょうか?」と尋ねて来たことだ。「いや、家族持ちの普通の勤め人で...」と答えると、何故かホッとしたような面持ちだったのを覚えている。彼自身も務め人だということを知ったのはやはりその時だったと思う。

  その後彼との縁は進んで行き、2013年に.esがP.S.F. Recordsから発表したアルバム “Void” の解説を担当させて頂く。同年には Nomart Editionsが制作した橋本さんのファースト・ソロ・アルバム “Colourful: Alto Saxophone Improvisation” の解説を記す機会を与えて頂いた。それに際して、橋本さんのことをあれこれと知りたかった。難波にある彼が好きだという居酒屋でインタヴューを行うこととなる。その時初めて知ったのは、彼は若い頃から音楽が大好きでバンド活動などを行っていたが、日常生活が多忙で演奏に専念する時間を見出すことができず、本格的に音楽活動を始めたのは40歳を過ぎてからだということである。若々しい橋本さんだが、1969年生まれなので当時44歳に達していた。生活基盤と確立と家族との生活を大切にする人間だからこそ、そのような道を選んだのだと思う。

 彼は本当にカッコ良い。容姿が理想的なジャズ・マンを想起させる。それでつい、フリー・ジャズのイメージを彼に重畳させてしまいがちだ。彼が行っていたのは演奏から意味を消去することであり、「音楽」という器を超越する生命力の表現だった。昨年出版された彼のソロ・アルバム “Chat Me” ではそれが明確な形で露呈していた。

 “Chat Me” 最初のトラック ‘Chat Me’ は特に素晴らしい。それがフラメンコ・ギターの演奏を収めたものであることは知っていた。もしその知識が無かったら、私はその曲を聴き始めた時点で、何かの昆虫が自身の身体を使って創生している音だと思った筈だ。音の蠢きは人間が関与するものとは思えず、「一体そこで何が起こっているのか?」と興味津々に音を除き込んでしまった。

 橋本さんはもちろん、.esが演奏する音を表現するのにフリー・ジャズが引用されることがある。だが、トラック ‘Chat Me’ の音は最早フリー・ジャズと呼ぶべきものではなく、フリー・ジャズと彼が創る音楽の間には相当な距離が在ることは明白だった。そして、2013年に彼にインタヴューした時の印象を想い出したのである。その時驚いたのは、フリー・ジャズのミュージシャンに対して彼は素っ気ないくらい興味を示さないことだった。彼はサックス奏者なので、さぞ影響を受けたのではないかと思うサックス奏者の名を挙げてみても、「まぁ、興味を持っていた時期もありはしましたが...」みたいな感じで、暖簾に腕押しの感じなのだ。橋本さんがはっきりと興味を抱いていた音楽家は、The BeatlesとIncapacitantsだった。特にIncapacitantsについては「コンプレックスを抱く程だった」と言い、確か「嫉妬さえ抱いていた」と断言したようにも思う。

 “Chat Me”を聴いてから彼のフリー・ジャズについての考え方を改めて知りたくなり、昨年の12月にメールで尋ねてみた。以下はそのやりとりである。

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2020年12月2日 水曜

橋本様

橋本さんは「フリー・ジャズの系譜」を意識されますか、教えてください。そしてご自身とそれとの関係も、有無を含めてどう考えておられるかご教示をお願いいたします。



2020年12月2日 水曜

坂口様

こんばんは!

「フリー・ジャズの系譜」ですが、まったく意識しておりません
(フリー・ジャズ=ジャズにルーツを持つジャズ周辺の音楽、という理解においては特にです)。

ジャズであったり、ジャズの系譜にあるものは、
何故かわかりませんが、全く自分の感覚に合わないのです
(あと一部のジャズ信奉者の凝り固まった価値観には少し嫌悪感があります)。

その一方で、今月出版される阿部薫の本に寄稿していたりするのですが、
自分は阿部薫のフリー・ジャズではない要素に注目しているのだと思います。

ただ彼自身はジャズという音楽に深い愛着があったと思います
(敬愛するジャズ・マンがいたり、ジャズのナンバーをカバーしたりしているので)。

自分には、そのようなジャズ的なものに対する愛着は、まったくないと明確に言えます。

フリー・ジャズと言えば、高柳昌行にも素晴らしい作品があると思いますが、
音楽を演奏する者は、高度な演奏技術の習得を前提とせねばならず、
その聴衆(批評家?)にも高い能力が要求される、というスタンスには違和感を感じます。

私はどちらかというとパンク・ムーブメント的な、
「例え楽器が出来なくでも、今すぐに表現してしまえ!」
というような自由なアティチュードが大切だと思うからです。

ただ、もしフリー・ジャズの系譜じゃないとすると、
どのフィールドで評価される可能性があるのか?ということは感じております。

以上、お答えになっておりましたでしょうか…?

橋本



2020年12月3日 木曜

橋本様

詳細なご説明をありがとうございます。

トラック ‘Chat Me’ を拝聴して思ったことが橋本さんのご説明により納得の行くものとなりました。

演奏開始から8分程までは、純粋ノイズとして私が解釈してしまう音が提示されています。それは言わば演奏者の意思とは関係なく、しかし確かに演奏者の手から紡ぎ出される音に他なりません。

私は音楽を評価する際に「作品に於いて演奏者の意思が消去されているか否か」を重視いたします。あからさまに「こんな音楽を作りたかった」という演奏者の意思が透けて見える演奏ほどつまらないものはありません。

「こうすれば、こうなる筈だ。実際、そうしてみるとそうなった」というだけのことであり、演奏者自身の世界で完結する現象でしかありませんから。「音を利用して音楽を作ろう」という意図から解放されていることが、「フリー」なのだと私は思っています。

トラック ‘Chat Me’ について、もう少し質問させてください。

最初の8分は無意識に手を動かされましたか、どうでしょう?演奏の最中に演奏の総体を意識されることがおありだったかについても知りたく思います。

全く急ぎませんのでお時間がおありの時にご教示ください。
宜しくお願いをいたします。

坂口



2020年12月05日 土曜

坂口様

「CHAT ME」の演奏に関しては、
無意識からスタートして演奏中に少しずつ、
この弾き方の感じがわかっていった、
という感じだったかもしれません。

実のところ、フラメンコ・ギターで、
このような奏法をちゃんとやってみたのは、
本作レコーディングした時が最初で最後でした。

総体を考えるということはせず、
歩けるところまで進んでみて、
それ以上は行かない方が良い、と感じたところで無理せず止める、というスタンスで録音しました。

演奏(録音)が終わった後、わいてきた実感としては、
「もう二度と同じことをやり直したくない」というものでした。

それは、一回目でとても上手く出来たからというより、
もう一度、録り直してしまうと、前回をなぞるようになってしまい、
自分自身が、新鮮な好奇心と喜びを持って弾けない、
改善してゆくどころか、やればやるほど、ダメになってゆくだろうと思ったからです。
それについては、何な根拠も無いのですが…。

橋本



2020年12月5日 土曜

橋本様

ご説明をありがとうございました。

橋本さんの ‘Chat Me’ でのご演奏は無意識下に蓄積した何かの放出であるような気がしてなりません。意識が追い付けないようなスピードで、音が動いているように思います。

橋本さんは「もう二度とそんな演奏は行いたくない」と書いておられましたが、それは今までチャージされていたものが一旦完全に抜けたからでしょう。今般フラメンコ・ギターの演奏でチャージされたものの抜け道を作ってしまった以上、チャージが充分となれば再びその放出が起こると思います。ただしそれがフラメンコ・ギターによる演奏である必要は全く無いでしょう。

JOJO 広重さんはかつて、「ノイズが含む情報量はあらゆる音楽の内でも最大である」という意味の発言を行っておられました。それはそれで正しいと思いはしますが、「では大量の情報を使って何を表現しようとするのか」という疑問が残ります。

トラック ‘Chat Me’ は、意識が追従し得ない速度で何かを表していると思います。そしてそれは、「何かはわからないが、とても面白いものが確かに在る」ということの表現型なのではないかなとも考えました。

坂口

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  半年少し前に交わされたこのメールから、橋本さんが演奏した音楽とフリー・ジャズの間には大きな距離があることが明白だと思う。これを彼自身から聞くことができたことに深く感謝する次第だ。では橋本さんが演奏しているものは何かと考えると、「聴く者の生命力を活性化してくれる何か」としか答えようがない。橋本さんは「音楽が大好き」だと、自己紹介でそう言った。しかし彼の行っていたことは音楽という器を越えているように思う。アルバム “Chat Me” で彼はそこまで行ってしまったように思うのだ。

  面白いことに、トラック ‘Chat Me’ で橋本さんが使ったフラメンコ・ギターは彼の活動の出発点にあった。彼はデレク・ベイリーの著書 『インプロヴィゼーション - 即興演奏の彼方に』を読みフラメンコ・ギターに興味を抱いた。しかしそれをどう演奏すれば良いのか全く解らず、2009年に大阪のフラメンコ教室を訪れ、そこでsaraさんとGallery Nomartのディレクター林聡さんと出遭う。このように出発点にあったフラメンコ・ギターを使い録音された彼の作品が、最新ソロ・アルバム収録のトラック ‘Chat Me’ なのである。この作品が広く聴かれ、橋本さんの演奏について考える方が出て来て欲しいと思う。

  参考までに、2013年の橋本孝之ファースト・ソロ・アルバム “Colourful” の解説として私が寄稿した文章を以下に掲載させて頂く。つい最近読み返してみて、彼が演奏を始めるまでの過程が良く解ると思ったからだ。そこでは橋本さんから直接伺ったことを淡々と記している。手前味噌だが、この文章は彼を知るには適切な情報源だと思うのだ。





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2013年出版 橋本孝之 “Colourful: Alto Saxophone Improvisation” の為の解説
Colourful - 破壊の為の破壊、ゆえに奏者は不可視となる

.es
  この度、.es(ドットエス) の橋本孝之さんによるソロ・アルバム、“Colourful” が出版される運びとなった。ドットエスは、大阪に在る、ギャラリーノマル(Gallery Nomart) という空間から発生したデュオ・ユニットだ。ノマルのディレクターである林聡さんがプロデュースを担当する.esは、橋本さん(サックス、ギター、ハーモニカなど)、そして sara さん (ピアノ、パーカッション、ダンスなど) から成る。彼らは 2010 年に、CD “.es” (DVD “obsession” とのセットとして出版されたが、現在廃盤)を持って、アルバム・デビューを果たした。この年には、同名ライヴのリハーサルを収録したと言う、セカンド・アルバムCD “Interference(干渉)” も出版されている(残念ながら非売品の様だ)。

 おそらくこれらの録音媒体は.esの活動基盤であるギャラリーノマル周辺でのみ配給されたのだろうと推察するのだが、続く2011年に発表された『オトデイロヲツクル』は、彼らの存在を日本国内に広く知らしめる記念すべき作品となった。彼らが演奏する音楽は、ちょっと聴いた耳には、フリー・ジャズの様に聞こえる即興だ。だが、この音楽に特徴的なのは、余剰な意味付けが為されていない点だろう。意味を伴わないからこそ音は自由に振舞い、その蠢きには制限が無く、さながら原始を志向する様なパワーで音楽は満ちている。

 「音楽が意味から解放されている」ことを明示してくれた『オトデイロヲツクル』に続き、2012年に出版されたミニ・アルバム “Resonance” において、.esに潜在する可能性はより顕著な形で姿を現す。橋本さんの言を借りるなら、.esとは違うアプローチに基づくアルバムなのだが、却って彼らの本質が露呈している点がとても面白い。それは、美術家である藤本由紀夫さんがご自身で制作されたオルゴール作品音を用い、予め録音された彼らデュオのライヴ演奏のリミックスを行ったものである。

 その結果、.esの音と藤本さんの音との間には、稀有の化学反応にも近い現象が発生するのだ。原型それぞれに残存していた音楽としての意味は分解され、それこそ『音楽らしい音楽』が不可視化されて行くプロセスが成立する。或る意味でこの現象は音楽の相互破壊であるのだが、それを『協和 (resonance)』と呼称するセンスは何と粋なのだろうと、深く感嘆してしまう。

 さてこれらの作品はノマルエディション(Nomart Editions)というギャラリーノマルの出版組織から発表されていたのだが、本2013年1 月、東京において1984年以来生悦住英夫さんが主宰する日本アンダーグラウンドの老舗レーベル PSF Records からアルバム “void” が出版された。生悦住さんは『オトデイロヲツクル』の内に.esの真価を見出されて以来、ご自身の運営するレコード店、モダ~ン・ミュージックなどで熱心に.esを推薦して来られた方でもある。この “void” においても、音楽に付随するあらゆる意味は、悉く破砕されていると言って良いだろう。ただ意味の破砕は寧ろエレガントな手段に基づいており、それはちょうど、人工多能性細胞(iPS 細胞)を樹立する『初期化』にも近い趣があると想う。

 我々は、長い年月を費やし音楽が進化して来たと信じているのだが、『進化』という理解が正しいという保証はどこにも無い。例えば、フラメンコは原型から現在の形へと変容して来たのだろうが、それが『退化』では無く『進化』であるという証拠はどこに在るのだろう。そう問い掛けてみれば、音楽は、歴史の流れに連れただ『変異』して来たに過ぎないのかも知れない。そして、既に音楽が受容してしまった『変異』に至るものとは違う、別の選択もあり得るのだ。.es が “void” において志向したのは、『音楽の初期化』、すなわち変異のプロセスで音楽が獲得してしまった意味をキャンセルする作業であった。

 この “void” 出版と同年の初夏に、ノマルエディションは、.esのアルバム “darkness” を出版する。このアルバムは、パーカッションを操るsaraさんの特質を露呈していて、とても興味深い。彼女の操る野生打楽器の波動は奔放な振舞いを見せながら、リスニングの焦点をどこに合わせれば良いのか、それを淡々と問い掛けて来る。焦点を音楽の表層では無く微妙に奥まった場所に導いてくれる、それは言わば、リスニングのポジションとスタンスをリスナーに問い直す行為だろう。演奏者とリスナーの間にもし暗黙の了解が成立しているのだとすればそれを破砕し、リスニングという行為の意味を初期化する意味が、このアルバムにはあるのかも知れないと想う。

 なお.esとはエスパニョール、フラメンコ発祥の地スペインの、インターネット・ドメインを指すコードである。彼らによる2011年の『オトデイロヲツクル』から “darkness” まで、『イロ』・『協和』・『虚空』・『暗闇』と、.es のアルバム・タイトルは変遷して来た。その後を受けて登場する橋本さんのアルバムが “Colourful” だとは、音楽は再び 『イロ』 の方向に回帰するのだろうか、そんな穿った見方がちょっと脳裏を過る。だが、それは、ちょっと違う。このアルバムに収録された音楽は、言わば、純粋な 『破壊の為の破壊』 を志向しているのだ。あるいは、それを『創造の為の創造』と呼び代えても、おそらく矛盾は全く生じないだろう。

橋本孝之さんの履歴
 .esのアルバムに収録された爆裂的エネルギーを伴う演奏を聴いてしまうと、「橋本さんって、ちょっとおっかない人物じゃないのかな?」 と、そんな風に想う方が居られるかも知れない。でも実際の彼は、陽気で礼節を弁える、素敵なハンサム・ガイ(敢えて、イケメンとは呼ばない)である。橋本さんは、69年4月21日生まれ、中学時代にザ・ビートルズのアルバム “Live at Hollywood Bowl” を聴いて凄く感銘を受けたのだそうだ。当時ご家族の事情からフィリピンにお住いであったが、独学で、フォーク・ギターの練習を始めた。

 それから時が経ち、橋本さんは日本へ帰国され、就職と結婚という人生の大事業を通過する。演奏することと楽器が大好きな橋本さんではあったが、家庭を持てば育児にも参加せねばならず、自分の時間は当然限られていた。仕事との両立を果たし自分の音楽活動を行うには、情況が、全く整ってはいなかったのである。ただ当時はまだギターを練習するのみの彼であったのだが、奥様がアルト・サックスを所有され演奏されていたという事実は、本当に奇遇だったと言うしか無い。
奥様はファンク・ミュージックが大好きで、当時から橋本さんも、ファンクに溢れているグルーヴを奥様と共に満喫していた様だ。そして奥様から拝借したことがきっかけとなり、十数年にわたりアルト・サックスを演奏することとなるのだが、公衆の面前でそれを演奏するには2009年を待たねばならなかった。

 ギターと同様、橋本さんは、独学でサックスの演奏を行って来たそうだ。だが演奏を始めるに際して、「サックスの演奏とはどういうものか、それを知らないとスタート出来ない」という気持ちがあり、サックス演奏者のレコードを聴き始めた。例えば、スティーヴ・レイシーの作品からは、大きなインスピレーションを受けたと言う。前後して、ペーター・ブレッツマン、あるいはアンソニー・ブラクストンなどのレコードも聴き始めた様だ。

 そうしたリスニング遍歴において、打楽器奏者であるミルフォード・グレイヴスの録音、そしてレイシーとグレイヴスをそれぞれ 日本に招聘した実績を持つ批評家間章さんによる著述に出遭う。間さんの著作を通じ、やがて橋本さんは、アルト・サックス奏者である阿部薫さんの名を知るに至る。実際に阿部さんの演奏を録音媒体で聴くまでには、或る程度の期間があった様だが、それらを聴いて受けた印象は好いものであったらしい。

 この様にしてアルト・サックス演奏についての知見を得、練習を繰り返していた橋本さんだったが、4~5年前に転機が訪れる。それまでは音楽に費やす時間が限られていたのだが、様々な事情が相乗し、自身の演奏活動を想定し得るチャンスが訪れたのだ。元々ギターから演奏を始めた身であったので、当然、最初志望したのはギタリストであった。ただビートルズ体験から音楽を始めたのではあったが、レイシーを始めとするインプロヴァイザーの作品を通過した橋本さんの興味は、デレク・ベイリーの演奏へと向いて行く。

 そして彼は、ベイリーの著書『インプロヴィゼーション - 即興演奏の彼方に』(原著は英国 Moorland 社 1980年刊;竹田賢一・斎藤栄一・木幡和枝の和訳にて、工作舎 1981年刊)を読み、特にフラメンコ・ギターについて記された項に大きな興味を抱いたと言う。「ギターを演奏するには、フラメンコ・ギターを知るべきだ」と確信した彼は、レコードとビデオでの体験を試みるが、「どうやって、弾いているのだろう?」 という疑問だけが膨らんで行く。そこで2009年、ギターを習う為に大阪のフラメンコ教室に通い始めるのだが、そこで出遭ったのがsaraさんと林さんなのであった。

 この時期、彼はギターという楽器の持つ本性を知る為に、ボサノヴァのギター教師について学んでいたこともあったと言う。橋本さんはブラジルのギター奏者、バーデン・パウエルのソロを大変好んでいたことが、その原因の様だ。パウエルはボサノヴァの奏者であるが、土着的宗教に基づく視座をブラジル民謡と融合させ、バッハなどのクラシックの要素までを取り込み新しいブラジルの音楽を創出したとされている。このパウエルが持っていた素晴らしい革新の姿勢は、「100年前からある楽器で、新しいことを試みてみたい」という橋本さんの意思と、正確に重畳するものだったのだろう。

 話は前後するが、フラメンコ教室でのsaraさん・林さんとの出遭いは、同時に林さんが営むギャラリーノマルとの接点でもあった。橋本さんは演奏、つまり練習と公演の為に使うことの出来る空間に遭遇すると共に、この出遭いが2009年の.es 結成につながるのだ。それも面白いことに、彼はギタリスト志望だったのだから、当然結成の当初はサックス担当では無い。たまたま奥様のサックスをノマルに持って行き吹いてみたことがあり、「その方が、ずっと面白い」と言われ、サックスをメインの楽器とすることと成ったのだ。私見なのだが、これを始めとする幾つかのエピソード(後述) は、まるで橋本さんはサックスに選ばれたことを物語っていると想う。

 2009年の結成から、.esは、ギャラリーノマルを本拠地として精力的なライヴ演奏を行い始める。翌年に制作した2枚のアルバムを経て、国内にその存在を知らしめる結果をもたらす『オトデイロヲツクル』を発表したのは、2011年のことであった。後年橋本さんはこのアルバムについて、「.es の方向が固まった作品であり、信じることの出来る音そしてリズムに出遭うことが出来た」と、語っている。

 『オトデイロヲツクル』が出版された2011年、その7月に京都のClub Metroにおいて、“Tokyo BOREDOM in Kyoto” という催しが行われた。多数の参加者があった催しだったが、その場において、橋本さんは非常階段のメンバーとして出演していた美川俊治さんとの出遭いを果たす。実を言えば、美川さんは、saraさんとは旧知の間柄であった。橋本さんにはこの時どうしても美川さんと会って確認すべきことがあり、出演者ではなかったが、saraさんの伝手を頼りに会いに行ったのだ。

 橋本さんは当時、美川さんの演奏に『理想の進化形』とも言える音楽を見出し、コンプレックスさえを覚えていたのだと言う。彼ら当夜の話題は好きな音楽に関するものであったり、あるいは仕事と演奏活動の両立についてなど、様々なものであった。美川さんと直接対話することで何かの感触を掴もうとしたのだろうが、後年、この時の対話について橋本さんはこう語っている。- 「美川さんがエレクトロニクスを用いて創出する音には憧れてさえいたが、自分は、彼と同じことを行おうとは思わなかった。自分の楽器、色んな楽器が本当に好きで、それらを用いて美川さんが行っている様なことを実現したかった」。

 ともあれ、この出遭いはその後.esと美川さんの交流へとつながり、2012年の9月にはギャラリーノマルおよび難波ベアーズで彼らの協働コンサートが催されている。両日の録音は、香港においてデニス・ウォンさんが主宰する Re-Records から、CD “September 2012” として出版された。その出版を記念する催しが、本年12月に、東京のEarthdomおよびBar Gari Gariにおいて行われる。これと時を併せて橋本さんの本作 “Colourful” が出版されるのは、本当に印象的であり、絶好の選択であると言えるだろう。

破壊、創造、演奏
 前述の様に、橋本さんは、本来ギタリストを志していた。彼はとりわけデレク・ベイリーの演奏に興味を抱いていたが、ベイリーの演奏において重要なのは、“non idiomatic (慣用からの脱出)” という概念なのだと言う。この概念には、様々な解釈があり得るだろうが、基本となるのは「常套的な関連付けから遠ざかり、芸術を創出する」ということであろう。ベイリーは、情念を必ず伴うと想定される音楽という現象から、慣用形の情念を消去する奏法を確立した音楽家なのだと想う。その消去は、演奏者とリスナーの双方に対して、音楽の理解についての自由度を与える結果となった。

 尤もその自由とは、実を言えば全く新しい自由では無く、ベイリーそしてリスナーのどこかに存在していた自由なのかも知れない。そうであるとすれば自由は獲得されたのでは無く、ちょうど覚えの無い記憶が蘇る様にして、すべからく奪回されたものだと言うべきだろう。そして一旦この様な現象が成立してしまえば、自由の奪回は、他の局面に対しても臆せずに波及して行く。

 例えば、橋本さんの美川俊治さんに対する興味の根底にも、“non-idiomatic” なスタンスが在るのだと想う。美川さんがエレクトロニクスで創生する音楽を聴いて、橋本さんは、「既存の楽器(アルト・サックス)を用いて、美川さんが行っている様なことを実現しよう」と思ったのだと言う。この決意はすなわち、『何故か楽器に設定されてしまった慣用』を消去することなのであり、それこそが橋本さんの希求していた 「楽器から本性を引き出す」行為でもあったのだろう。

 さて.esのアルト・サクソフォン奏者としてシーンに登場した橋本さんに対し、メディアはアルバート・アイラー、阿部薫さん、そして浦邊雅祥さんの演奏を引用した説明を試みた。それは、イディオム(慣用)による現象の説明であり、説明と評論においては最も安易な選択であると私は思う。

 自分にしか理解出来ないことを他者に説明する時、つい我々は引用と隠喩、あるいは単純化に頼ろうとする。誰も見たことが無い概念ではあっても、引用と隠喩で説明すれば、然程労せずに説明は進むに違いない。だがこの選択を行えば純粋にオリジナルな概念を正確に表現し伝えることは叶わず、既知の概念内に、委縮する様な形でそれは幽閉されてしまう筈だ。そして単純化を行えば、本来の意味は、必ずどこかで転覆する。自分だけが理解出来る情報を他者と共有することは、それ程に、恐ろしく難しい。

 この理屈は、音楽の評論だけで無く、演奏にもそしてリスニングにも正確に当て嵌るだろうと私は推察する。その推察は、 “Colourful” を拝聴した時、確信に近いものとなった。このアルバムを最初に聴いた時、私は思わず、「この音楽には、情念が無い」と断定した。それは、私が .esの演奏を聴く時に或る固定された観念に囚われていたことを、いみじくも照射する。激烈な勢いのサックスに、我々は絶望・怒り・哀調といった決まりきった概念を押し付けてしまうことを、その時思い知り自戒したのである。空中に放たれる大きな声と言えば絶望・怒り・哀しみに起因すると決め付け、安易にも、サックスから放たれる音にそれ重畳させていたのだ。

 最近、五海裕治さん撮影となる阿部薫さんの写真集が、K & B パブリッシャーズから出版された。この本に関して、モダ~ン・ミュージックのサイトにおいて生悦住英夫さんは、「この写真集を見れば、阿部にまとわりついていたネガティヴなイメージは間違いであったことが判る筈だ」というコメントを寄せている。このコメントも、すぐに理解され得ない表現は、最も皮相の印象によって修飾されてしまうということを表しているのだろうと想う。

 アイラーと阿部さんそして浦邊さんの、何れの音楽に対しても、他者が予定調和的な情念を重畳させることにより音楽の真髄の表出が攪乱されてしまった側面があるのでは無いだろうかと私は思っている。“Colourful” を聴いているとそのことを、濁りが透けて行く様な感触を伴いながら、理解することが出来た。

 “Colourful” に収録されているのは、只の、『演奏の為の演奏』である。それを『破壊の為の破壊』と言い換えても差し支えは無いだろうし、『創造の為の創造』と、呼び直すことも出来る。怒りあるいは哀しみを表現する為に存在する演奏などでは決して無く、演奏の為だけに存在する、本当に只の演奏でしか無い現象なのだ。慣習としてサックスに付きまとう情念を、演奏者の側から消去し、評論とリスニングをもイディオムから解放する。それが、“Colourful” に潜む、“non idiomatic” な趣意なのだろうと想う。

 イディオムが消去され残ったものは、余りにも美しい音の配列と、背後に存在する『自由な情念』と呼び得るものである。喜怒哀楽の全てがそこには在り、全てが、等しく音楽に活きている。余計な纏い物が消滅する時、演奏する者の質量は、自然とゼロに近づいて行く。そして、鳴っている最中の音楽から、いつの間にか消滅してしまうだろう。

付記 A
 橋本さんは、何度も自身の音源を生悦住英夫さんに送り、電話を通じて意見を仰いで来たと言う。電話でのディスカッションは数時間にわたることもあったが、生悦住さんは、次の三つのアドヴァイスを彼に送った。
「歌う様に、サックスを吹いてください」
「うまくなろうなどとは、決して考えないでください」
「日本的な間を、大切にしてください」

付記 B
  “Colourful” を聴いて判ったことに、.esにおいて、橋本さんとsaraさんそれぞれが果たす役割の違いがあった。共に原初の音楽を探求しているのだが、橋本さんは、音楽に付き纏う意味を丁寧に消去することでゼロに戻ろうとする。そして、saraさんは原初の音楽に在った記憶を蘇生させる為に、後付けで音楽に刻印された記憶を片端から破砕しているかの様だ。この対照は、彼らのアルバム “darkness” を聴いてみれば、端的に理解できると想う。

付記 C
 最初ギター奏者を志していながら主要演奏パートをアルト・サックスへと変更した橋本さんだが、お話を伺っていると、まるでサックスに魅入られ指示されている様な感を受けてしまう。まず奥様がサックスの所有者であったというエピソードもさることながら、「サックスを忘れて、取りに戻ったら、大切な出遭いが在った」あるいは「練習の為にサックスを携えて或るコンサートの会場に居たら、当日の演奏者から、共演するよう依頼された」などと、とても偶然とは思えない現象のオン・パレードなのだが。

付記 D
 エリック・ドルフィーは、“When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again (音楽を聴き終えてしまえば、空中へと消えてしまい、それを掴まえることなど、誰にも出来はしない)” との言葉を残したが、前述した演奏者の消滅とはそれに近いことなのだ。音楽を放射し尽くしてしまえば、演奏者は、自身が発した音楽に束縛されることなど無い。演奏の最中にだけ音楽の背後に存在した者は、可視の領域を立ち去り、新たな演奏へと向かうのである。




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