01 Publication of Art︱共有されるアート
出版と制作が一体化した版画工房を創りたい、という思いから始まったノマル。「出版」には当初から強い思い入れがあった。本も作品も同様に、伝播させるという力を持つ。本が思想や物語を広めていくように、作品の出版によってアートの持つ力を広めたいと考えた。それは、マーケットによって高額になった作品の廉価版という話とはまるで違う、アートのひとつの在り方だ。
かつて知識や宗教や哲学が伝承によって、あるいは書き写しによって伝えられていったように、版画というメディアはアート遺産の共有/拡散であると感じている。そこに、版というメディアがマッチした。また版というメディアの制約を逆に生かしていくということは、作品に何か新しいものを加える気がしたのだ。版を使うから版画なのではなく、版というコンセプトを内包するから版画なのだ。
版を考える上で、そぎ落とすことと、版であるという意味を加えていくことが、メディアの違いを超えて在る作品となる。最初に一番とっつきやすく、しかも非常にシンプルな仕組みのシルクスクリーンを選んだのは工業的に使われていることもあって情報量も多く、応用もきき、とりあえず始めるには好都合に思えた。写すという基本構造から様々な展開が生まれてゆく。ひとところにいることは出来ない。今ではマルチメディアやWeb、アプリなど、出版も(複数性も)、本という形でさえ、過ぎ去られようとしている。版という考えの多様性も同様に拡散していく。
1989年当初から、版画のエディションが全て同じものでなくてはならないという事には無頓着で、手彩色を加えたり、同一には刷れない方法をあえて取り入れたりもした。そんな考えで1000種にも及ぶ作品を創ってきたのだから、アーティストはその都度、自由に考えることが出来たのだと思う。制約はあるのだが、自由にその制約を変化させることが出来るのだ。版種のみならずメディアはどんどん広がっていった。ルールは自分たちで創る。
アートの本質はアウラの中に宿るものだけではないと思うし、物という“在”を超えて人の中に在ることが出来る。アートが少数のコレクターや美術館だけのものではなく、広く時代のものであるために創るのだ。アーティストが独りで生み出すものより、少し新しい編集が生まれ加わるのかもしれないが、最終的に全てがアーティストの作品としていかに完成度を高くするかの助けにならなければいけない。例えるならば本創りの著者と編集者のように。
アートが時代のものに、時代を超えたものになるためには、アートが共有されなければならない。Publicationの文字通り、出版(アート)は公共(public)の財産なのだから─。本を創る時も作品を創る時も、その考えは同様だ。(2019年 林聡)
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